産毛が逆立つようなくすぐったさと、不思議と力の抜ける人の気配がそこにあって。
スザクは目を閉じたままで意識を覚醒させた。
(――…あれ?)
いつの間に寝入ってしまったのだろう。
机に伏したままの姿勢でスザクはゆっくりと思考を回転させていく。
最後に覚えているのは、手伝いを終えた生徒会室でぼんやり窓の外を見ていたこと。
随分久し振りにおとずれた穏やかな時間に瞼が少しずつ重たくなっていったことは、少しだけ記憶に残っていた。
そして同時に思い当たる。
普段は賑やかな部屋の中で、暫くの間とはいえ眠ることが出来た違和感。
それは、つまり。
(悪いことしたなぁ…)
明日にはまた何てことない顔で迎えてくれるであろう面々を順番に思い返し、申し訳なくも笑みがこぼれた。
分不相応なまでの優しさに包まれて、それが酷く面映い。
そして。
込み上げてくる笑みを噛み殺して、スザクは隣に座る人に意識を向ける。
顔は彼の方に向けてしまっているから、本当は少しでも表情が動けば寝たフリをしているのがバレてしまうのだけれど。
彼曰く自分は「寝ぼけ方が半端ない」らしいので、変なところで油断の多い彼は「大方幸せな夢でも見ているのだろう」と思ってくれるに違いなかった。
だからあんな風に、無防備に触れてくる。
先ほど触れた指先は、爪の先がちらりと触れる程度の接触なのにとても温かく、自分はそんなことにいちいち安心してしまう。
そしてその度に言わずにはいられないのだ。
(きみは本当に変わらないね、ルルーシュ)
心の内をうつして時折凍えるこの指先が、ふと触れる彼の体温に何度温まったか解らない。
生まれたての卵のような控えめで確かな温もりは、あまり彼のイメージにはない温度であるようで、けれど彼を知る人間にとってはとても彼らしい温度のように思えた。
この肌によく馴染む、彼の熱。
(今度またナナリーに昔話をしてみようかな)
彼の嫌がる、昔の話。
正直に言えば話す自分ですら思い出したくもないことは両手に余るほどあった。
けれど、そんな他愛もない話が彼女を微笑ますなら構わないと思える。
それが唯一、考えの違うふたりが手段も方法も問わない目的だった。
だからきっと近いうちに。
そう、ひとり密かに誓う。
(だけど今は、)
狸寝入りを続けながらスザクはこそりと笑った。
よくよく考えてみれば、何かとすれ違いの多い日々を送っていたふたりにとっては随分久し振りの逢瀬だ。
時間を作ってはこうして生徒会にも顔を出している自分に対し、近頃では授業にすら顔を出さなくなっている彼がいるのだからそれも当然で。
いい加減さみしいんだけど。
と、言外に拗ねてみせようかと生徒会メンバーで話し合っていた矢先だった。
そう言いさえすれば優しい彼のこと。
きっと渋々でも顔を見せてくれるようになるだろうとの全員一致の見解は微笑ましくもあり、実はほんの少し、さみしくもあり。
(これも、やきもちって言うのかな)
閉鎖的な空間で過ごした夏の日が、ふとした瞬間に抱く子供じみた感情を捨てさせてくれない。
あの頃寝ても覚めても隣にいた親友が、今は少しだけ広くなった歩幅分、離れていってしまったようで。
さみしいなんて、本気の言葉で彼に伝える気はまだないけれど。
せめて今はあとほんの少しだけ。
こうして寝たフリを続けてもバチは当たらない気がする。
湧き上がった悪戯心は存外心地よく胸の中に落ちてきて、ともすれば上がってしまいそうな唇の端に力を入れ、スザクは目を閉じたままで身じろぎをした。
「…起きたのか?」
カタリ。
椅子を引く音がした。
室内灯が陰り、彼が顔を覗き込むのが解ってもスザクは黙ったままでゆっくり呼吸を繰り返した。
あと、もう少しだけ。
気付けばそれは思うより切実な色をしている。
すると、案の定寝ぼけていると判断したらしい彼はいつもよりずっと柔らかい吐息を吐き出す。
そしてリヴァルなら冷やかしの口笛を、シャーリーなら真っ赤になって絶句するであろう声音で呟くのだ。
「もう少しだけ、眠ってろよ…」
温かな手が瞼に触れる。
正確には睫が震えるか震えないかの距離で、彼が目隠しをする。
瞼がじわりと熱を持つ。
どんな悪戯を彼が思いついたのかは解らなかったけれど、それさえ不安ではなかった。
むしろ期待まじりに彼の次のアクションを待った。
狸寝入りの代償なら甘んじて受ける。
ただ、彼が唾を飲み込む音がやけに耳に響いたのが少し気にかかった。
それはまるで、らしくもない緊張のようで。
とうとう瞼を押し上げようとしたスザクに、彼はようやく口を開く。
祈るような声は、今まで聞いたことのない音をしていた。
瞼を覆う手はすぐに離れ、取り繕うような彼の咳払いを聞いた。
ちらりと向けられる視線を感じながらそれでも目を瞑り続けるスザクに、暫くして今度こそ悪戯心を湧かせたらしい彼は先ほどよりも遠慮なく頬や額に触れてきた。
そうして髪を梳くようにこめかみを滑った指先が毛先に絡み、彼が口ずさみ始めた子守唄を最後まで聴き終えても。
スザクはただじっと、眠ったふりで涙をこらえていた。
***
「…いつから起きてた」
ぎゅむ、と頬を摘まれながらスザクは苦笑で答える。
「ルルーシュが、頬に触ったとき、かな?」
「最初からじゃないか!」
べちん!と、とうとう両手で頬を叩かれ、涙目になったスザクをルルーシュは冷ややかに睨みつけた。
「でも、結局うとうとしちゃってたし」
「……」
「あ、子守唄はぼんやり聴こえてたけど」
「そこは聴かなかったことにしろ!」
どす!と手刀がつむじに決まる。
頭を押さえるついでに大袈裟に唸ってみせれば、彼は低く舌打ちをしてそっぽを向いてしまう。
「お前、大人しくなったのは上辺だけだったんだな」
「酷いな。そんなことないよ」
「狸寝入りは趣味が悪いと思わないか」
「・・・スミマセン」
今度こそ背中を向けてしまった彼に手を合わせ頭を下げながら、スザクはほんの僅か瞑目し、一度きつく眉を寄せてから顔を上げた。
「ほんとごめん、ルルーシュ。誰にも言わないから、きみが子守唄なんか歌えるんだってこ」
「お前少しは学習しろこのバカがッ!」
振り向きざまに振り上げられた手から逃げながら、スザクは笑った。
それが出来るだけ情けない顔に見えるように。
いくばくかの罪悪感を滲ませて、ただ笑い続けた。
これが他愛もない、いつものやりとりに見えるよう。
そうして根負けした彼が、自分を笑って許しやすいように。
ねぇ、ルルーシュ。
僕は、この国を変えたかった。
皆が笑っていられる場所に。
僕の大切な人たちが、いつまでも幸せに暮らせる場所に。
だけど、思うんだ。
『お前は、今度こそ此処で幸せに』
本当はただきみのために生きられたら。
どんなにしあわせだったろう って。
交わらない道の途中で。
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2008.09.15
ちょっとだけ改訂。
あの夏の日のまま、僕らは子供でいるべきだったのかも知れない。
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