愛してくれたらと願うんだよ。
決して傷の付かない世界ではないけれど。

あなたは、それでも笑って抱きしめてくれるかな。








夕陽が完全に沈んでしまう前の、永遠に思える一瞬の時間。
微かな口笛が聞こえてくると、子供たちは皆動きを止めて辺りを見回した。
あまり耳に馴染まないメロディ、けれどその口笛の主は皆一様に心当たりがあって。


「また歌ってるね」

「ご機嫌だね」

「何か”いいこと”でもあったのかな」


くすくすと笑いながら、子供たちが駆けていく。
陽が沈んでしまえば何も見えなくなってしまう。
その前に、微かな音楽だけを頼りに。


「そういえば、もうすぐ”いいこと”が起こるって言ってたよ」

「何だろうね?”いいこと”って」

「聞いてみようか」

「そうしようか」


夕陽に染まった笑顔で笑い合って、子供たちは揃って湖の水際にやって来た。
風が水の匂いを運んでくる、此処は「彼」のお気に入りの場所だ。
そしていつものように水際に佇む「彼」の背中を見つける。


「――――もう家に帰る時間じゃないのか?」


足音を聞きつけると口笛はピタリと止み、代わりに笑いを含んだ声が尋ねる。
振り返った表情は夕陽の影で判然としないが、「彼」が笑っていることだけは確かだ。


「まだ大丈夫だよ」

「歌が聞こえたから」

「もう”いいこと”あったの?」


コーラスのように話し出す子供たちに青年は笑みを深くし、身体ごと振り向いて身を屈めた。
視線を合わせてやりながら、半ば自分に言い聞かせるように答える。


「いや、まだだよ。でもきっともうすぐだ」

「何が起こるの?」

「どんな”いいこと”なの?」


その問いには、青年はただ笑って答えない。


「ずるいよー」

「どうして教えてくれないの?」

「もうすぐ解るよ」

「ほんとに”いいこと”なの?」


頬を膨らませる子供の頭を撫で、深く頷く。


「ああ。ずっと待ってたんだ、やっと会える」


子供たちは不思議そうに、けれど青年の穏やかな表情に笑い合った。
言葉の意味は理解出来なくとも、そこにある感情だけは敏感に読み取れる生き物だ。


「すきな人?」

「大切な人?」


そんなストレートな言葉にも臆することなく、青年は笑って頷いた。
隠し立てする必要のない、真っ新な気持ちだからこそ誇ることが出来る。


「あぁ、誰よりも大事な人だよ」

「もうすぐ来るの?」

「そうだよ」


子供たちは顔を見合わせた後で、くるりと青年を振り返る。


「だから嬉しそうなんだ?」

「最近いっつも歌ってるよね、あの歌」

「ねぇ、何て歌なの?」

「さあ、ちゃんとした歌詞は俺も知らないんだ」


不意に遠くを見つめた目は、遠く時空をも超えて。
探り当てた記憶に優しい光りが灯る。


「・・・あの人なら、知っているかも知れないな」


そのとき、すぅっと雲が流れて夕陽が翳った。
一瞬訪れた暗闇に、背中がぞっと冷え込むような錯覚。
子供たちははっとして青年を振り仰ぎ、一様に眉を顰めた。
青年はにわか雨に気付いたときのような仕草で空を見上げ、それから子供たちに言った。


「あぁ、もうお帰り。陽が落ちてしまう前に」


皆がこくりと頷く様を確認し、青年は姿勢を正す。
拍子に剣がガチャリと音を立てたが、彼らにとってそれは既に恐怖の対象ではなかった。
そして子供たちはさよならを云うために青年の服を掴んで笑った。



「またね、コンラッド!」



手を振って駆け出して行く子供たちの背中を、コンラッドはその場から見えなくなるまでずっと見送っていた。








悲しみを知る笑顔を思いながら、強く願う。
もう二度と、彼らの上に悲しみが降ることのないように、と。
笑顔でいて欲しい。
生まれたこの世界を憎まずに済むようにと、願って止まない。

思いを馳せたその先で、未だ見ぬ笑顔で笑う人がいる。
悲しいこと辛いこと、楽しいこと嬉しいこと。
この世界で、これから沢山知っていくのだろう。
あの子供たちのように傷付くこともあるかも知れない。
いつか立ち止まってしまうことだって。


(だけど、世界の美しさなら俺にも教えられる)


子供たちに野球を教えるように、最初は形にならないかも知れない。
それでも、いくら時間がかかっても、悲しみよりも沢山の喜びを、抱えきれないほどあげたいと思う。
生まれた場所とは違うこの世界を、少しでも愛してもらえるように。



「思いつく限りのことはしたよ。あとは、あなたを待つだけなんだ」



見上げた空は、もうすぐ闇色。
それは毎日のように思い返した、あの。





(――――きっと、もうすぐ会えるね。)















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2005.05.24
おかえりなさい。あなたのもうひとつの世界へ。


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