初めて抱いた、あの日のことを憶えている?







07 しんらいかんをもってもらうのがたいせつです







長い夢を見ていた気がする。
目覚めてすぐの感想はそれだった。
目を開くと、同時に目の縁に止まっていた涙がこめかみを伝って流れていった。
けれど悲しい夢ではなかった気がする。
むしろ凄く幸せな夢を、見た気がするんだ。

目を擦りつつ起き上がると、ソファで転寝しているコンラッドに気付く。
大方自分を寝かしつけた後、そのまま寝入ってしまったのだろう。
辛うじて肩に引っかかっている毛布に眉を寄せてしまう。
本当に、どうして自分のことにはこうも無頓着なんだろう。



「ベッド入ってくればいいのに・・・」



あれでは身体が軋んでしまう。
きっともう遅いだろうけど、と彼を起こそうとベッドから抜け出しかけた。
すると。



「・・・んん?」



左手に何か暖かいものが触れた。
まさかヴォルフじゃなかろうな、と手探りで辺りを探ってみると、不意にきゅうと人差し指を掴まれて、思わず悲鳴を上げそうになる。
違う、ヴォルフの手じゃない。



「おいおい、何だよまさかまた新種の生き物とか、」



コンラッドを起こそうかと考えて、しかし悲しいかな。
それより先に立ってしまう、好奇心。
ガンバレ俺!!
息を殺して、右手で布団を捲り上げる。
すると。




「・・・・・・・・・・・・・・え?」




布団の中で、星が、微笑った。







「まぁ、可愛らしい!」



白い頬を紅潮させたギーゼラが、俺の腕の中を覗き込んで感嘆の溜息を漏らす。
今日一日でどれくらいの賛美の言葉を聞いただろう。
何だかもう色々疲れ果ててしまって、笑い返す気力もなく項垂れる俺にギーゼラはにこにこと微笑みを絶やさない。



「髪の毛の色は陛下譲りですね。とってもお美しい黒・・・そして瞳は閣下にそっくり。本当に、おふたりによく似ておいでです」

「・・・俺としてはもっと他に色々・・・例えばこの成長っぷりとか、まずそーいうのにツッコミを入れたいんだけどね」



そう、つまり、生まれてしまったワケで。
何がって・・・・・・・・子供が。



「色々有り得ない。子供ってそんなにカンタンに生まれるもんだっけ?世のお母様方に謝った方が良くないか俺?!」



一瞬どこぞの子供が紛れ込んだのかとも思ったけれど、それにしてはあまりにも、というか何というか。
似すぎていたのだ。俺と、コンラッドに。
髪は黒で、瞳は茶色。
一見少女っぽい顔立ちなんだけど、性別は男。
そういやギュンターは双黒じゃないことに血の涙を流さんばかりに狂乱していたけど。
にへら。と呑気に笑う顔は、アルバムの中の昔の俺にちょっと似てるかなと思わなくも無くて。
(コンラッドに言わせると、「瓜二つ」らしい。)
気付けば腹部の圧迫感も綺麗さっぱりなくなっていたから、やっぱりこの子がそうなんだろうなーと渋々ながら納得してみる。

けれどいい加減痺れてきた腕の中にいる赤ん坊はどう少なく見積もっても生後4,5ヶ月は経っていそうだった。
表情は豊富だし、何よりよく動く。
暫く観察していたところによると、ベッドの上で這いずって歩くくらいは出来そうだ。
そして、赤ん坊は泣くのが仕事だろう?と思わず語りかけたくなるくらいに泣かない。
手がかからなくて結構だと思うよりも、何だか心配になってしまう。
当の本人は終始笑顔で、機嫌が良さそうなのだけれど。



「・・・ま、何が起きても不思議じゃないとは思ってたけどさ」



小さな手を振り回す赤ん坊に苦笑い。
お前のおかげで今日は朝から大騒動なんだぞ?
こうしてひっそり逃げ出して来れたのは本当に運が良かったと胸を撫で下ろし、呟く。



「そう言えば、閣下はどうされたんですか?」

「あー。コンラッドなら部屋で苦悩してる」

「え。陛下を置いて、ですか?」

「や、ていうかこんなに早く生まれるとは思わなかったからさ。・・・名前、考えてなかったんだよね」

「ああ。それで」

「朝からずっと育児書と睨めっこしてる。まったく。こういうのはインスピレーションだって言ってんのにさー」

「閣下らしいですね」



口元に手を当てて笑うギーザラに、俺もつられて笑う。
そりゃ、一生懸命になってくれるのは嬉しいんだけど。



「いつまでも『お前』じゃあなー・・・」



何がおかしいのか、力の抜け切った笑顔で見上げてくる赤ん坊の頬をつつく。
俺自身こっちの表記の名前なんて解らないから言えた義理じゃないけれど。
だけど、望むものは本当にシンプルなんだと思うわけで。



「なぁギーゼラ。こっちの名前っていったら例えばどんなのがある?」

「そうですね・・・例えばリオンとか、エリオス」

「何て意味?」

「リオンは『獅子』という意味で、エリオスは『太陽神』という意味があるそうですよ」

「へぇ・・・そっか、そういやお前男の子だもんな。強そうな名前のがいいかなぁ」

「きっと閣下が陛下のように素敵な名前をお考えでしょう」

「んー・・・早く決まるといいけどな」



部屋を出る間際に、書斎で本と紙に埋もれていた姿を思い出すと、今日明日で決まるとはとても思えなかった。



「でも、お止めにならないんですね」

「それは」



全部お見通しなのか、ギーゼラはそう言ってまた笑った。
俺はもう、隠すのも馬鹿らしく思えてきて。



「・・・だってさ、あんなカオされちゃ止めるに止めらんないよ」



物凄く(多分、本人も自覚はしてると思うけど)物凄ーく嬉しそうな顔をするんだ。
初めてこの子を見た瞬間の顔。
抱きしめられる直前に見た顔。
名前を決めないと、そう言って笑った顔が。



「あの日も、あんな顔してたのかなって思ったらさ・・・」



無邪気な笑顔で両手を上げる子供を見下ろす。
こんな気持ちだったのかな。
そう思うと、知らず気持ちが穏やかになる自分がいるから。
もう少しだけこのまま、なんて思ってしまうんだ。



「早く、名前で呼んで頂けると良いですね」



ギーゼラがそう言って小さな指と握手した。



「・・・だね」



少しの同情を込めて見下ろした笑顔は、やっぱりご機嫌そのものだったけれど。







ノックをすると、思いがけず扉が中から開けられた。
コンラッドはあからさまにほっとした表情で俺の手を取ってから、腕の中の笑顔に微笑み返す。
まるで父親のような顔をする彼えお見て(実際そうなんだけども)、不思議なことに何だかこっちが照れてしまう。



「決まりそう?」



だ、と無闇に相槌を打つ子供を抱き直しながらコンラッドの手元を覗き込む。
机の上が出てきたときより片付いてるのを見ると、どうやらリストはまとまったみたいだった。

けど、そのリストの厚さが広げた手のひらくらいあるのはどうしてだろう。



「大分絞れてはきたんですけど、まだ」

「・・・これでかよ」



半ば呆れてリストを眺める。
よくもまぁこれだけの人名をリストアップ出来たもんだと思う。
しかもそのひとつひとつに由来があるのだというから驚きの相乗効果。



「リーベンは『愛する』という意味で、エヴァンジェルは『福音』という意味があって」



とりあえず口頭で頼むよと言い置いて、俺はさりげなく抱く片腕を外し、机の上に散らかった数枚の紙に指を滑らせた。
リストに挙げられた名前の由来を聞いていたら小一時間じゃ済みそうにない。
自分で良さそうな名前を考えといた方が早い。



「レイは『助言・守護・光』を指して、」



アイリ・カイ・ルリ・・・。
微かな痕跡を辿ってはかさりかさりと音を立てる。
読みにくさに閉口していると、ふと小指に触れた文字。
その途端浮かんだやたら鮮明なイメージに、人差し指で触れてみた。



「『エスター』」

「え」



コンラッドは驚きを隠さずにリストから顔を上げた。 そりゃそうだ。
流し聞きだったけど、今読みあげたリストにそんな名前はなかった。
だけど、だからこそ余計に確信が持てる。



「どうして」

「だって、此処に何回も消した跡がある」



インクで書かれた文字は消されて不明でも、指先で読めるほど克明に描かれた名前。
きっと彼のことだから、他にも様々な由来の込められた名前を沢山考えていたのだろうけど。



「でも、それが一番良いと思ったんじゃないの?」



言ってやると、何だかとても困ってしまったような顔をするから思わず笑ってしまった。
どうして、とまた言い出しそうな顔をした彼に先手を打ってやる。



「解るよ、あんたのことなら。・・・大抵のことはね」



な?と腕の中の赤ん坊にも同意を求めると、こちらが驚いてしまうくらいの勢いで、握り締めた小さな手が上がる。
まるで、イエスと応えるように。



「・・・言葉も解るのか?お前」

「まさか」



コンラッドが長い指先で柔らかな頬をつつきながら、いつもより少しだけ甘い笑顔で、声で小さな身体に触れる。
敵わないな、と小さく息を漏らしてから、俺を見て笑った。



「エスター・・・『星』という意味です」

「星?」

「ええ。幸せを表す名前ならもっと他に沢山あるんですが」



膨大なリストに目をやり、けれど途中で名前を追うのが嫌になってしまったのかコンラッドは紙を机の上に置いた。
同じ瞳を持った赤ん坊の手に触れ、何だかとても大人びた顔で(というのも可笑しいけど)微笑むのだ。



「おかしいね。ユーリのときだってこんなに悩まなかったのに」

「・・・まぁ、実質おふくろが勝手に採用しちゃっただけだしな」

「でも、同じくらい嬉しいよ」



赤ん坊の手に触れていた指が、ふいに頬を滑った。
見上げると、見慣れた虹彩が優しく細められて。



「ユーリ。俺は、これ以上を願ってもいいのかな」



太陽となりますように。月となりますように。
それならこの子は、星となりますように。
道に迷った人を導く道標となりますように。

もしも祈りが届いたら。
幸せは怖いくらいだと彼が言う。



「・・・いいよ。あんたはもう少し我侭でもいいくらいだ」



頬に触れた指先よりもくすぐったいようなそんな気持ち。
見上げた彼が同じように含み笑いをしているから、腕の中の温度をぎゅっと抱きしめてみたくなる。
だけど、何にも逃げたりしない。
大丈夫だよ。
こうしてちゃんと触れているから。



「よしっ、決まり」



なぁ、15年前のあの日。
あんたの気持ちが、少しだけ解った気がするんだ。





「エスター。お前の名前だよ」





まだ高い陽の下に高く高く掲げるように抱き上げた。

願いを込めた、あの日の彼のように。

















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2005.10.04
happy birthday to you....



<御礼>
アンケート総数91票。
一位は「エステル」でしたが、綴りを同じくして少しだけ変形させてもらいました。
意味は「星」を採用。
実は11月の新刊に関わってくるので描写は少なめです(オイ)
あとはじゅん様にお任せしましょう(=v=)
アンケートだけでなく、メールも本当に有難うございました!!
作中に出せなかったお名前もいくつか・・・力不足でスイマセン(*x*)
全部に目を通させてもらったのですが、あまりに素敵な名前ばかりで・・・。
じゅん様とうんうん唸りながら決めました。幸せでしたー。
長らくお待たせしましたが、たまひよもそろそろ終盤です。
あともう少しお付き合い下されば幸いですv


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