いつの間にか贅沢な自分に気付かず欲張って。









全てが終わったと思った途端に、緊張し続けた身体は音を上げてしまった。
芝生の上に寝転び、適度に肌に優しい風に髪をなびかせながら、実はただ起き上がる気力がないだけという何とも情けない実情。
大きく息を吐き出すと、身体から余計な力が抜けるのが解る。
このまま眠ってしまおうか。
そんなことを思いながら目を閉じた。


「・・・疲れたー」


色んなことがありすぎた。
思い返すことさえも億劫で、今にも意識を手放そうとしたそのとき、独り言にしては大きな呟きに、思いがけず笑い声が返った。


「お疲れね、クルーソー大佐」


反射的に目を開けながら、心なしか今までになく張りのある声を思って同じく笑みを零す。
ユーリは力を入れるように息を吸い込み、肘を立てて上半身を起こした。


「言ったろ、ユーリだよ。フリン」

「ええそうね。お疲れ様、ユーリ。向こうでお付きの人があなたを捜していたから呼びに来たのよ?」

「げ、マジ?そういやすぐ戻るつもりだったんだよな・・・」


ごめん、ヨザック。
心の中だけで両手を合わせ、ユーリは力の入らない身体を見下ろした。
今このときに颯爽と立ち上がりいつも通りの顔をすることは酷く難しいことのように思えて苦笑いを浮かべる。
そんなユーリの様子に気付いたのか、フリンは何も言わずに隣りに腰を下ろした。
風が美しい金髪をたゆたうように揺らして、柔らかな髪が頬を掠める。


(そういえば、なんて言ったらきっと怒られるな。)


ユーリは口元を手で覆って笑いを噛み殺した。


「なぁに?」

「いや。・・・綺麗な人だなって思ったんだよ」

「いやだ。本当にお上手ね」


自分と同じか、もしくはそれ以上に疲れている筈なのに。
少女のように笑う彼女の顔は今まで見たどの表情よりも美しかった。
全てのしがらみから解放されたような横顔は、これから山積みであろう問題さえ物ともしない強さに満ち溢れているように見える。


「ユーリ、本当に有難う。何度言っても足りないくらいよ」

「いーよ。同士じゃん、俺達」


からりと笑い飛ばせば、はにかんだ笑顔が返る。
こんなくすぐったいやり取りも何度交わしたことだろう。
いい加減止めない?
そう言いかけて身体を捻ると、丁度同じタイミングでこちらを見返したフリンと目が合う。


「ねぇ、ユーリ」

「うん?」

「今度から、あなたの名前も呼ぶことを許して欲しいの」

「・・・呼んでるじゃん」


小さく右手で突っ込みを入れると、「違うの」とフリンは笑って首を振った。


「私は、神に祈る代わりにあなたの名前を呼ぶことを許して欲しいのよ」


悲しいとき、辛いとき、感謝や喜びを捧げたいとき。
今までは、あの人の名前だけを呼んでいたけど。

フリンはそう言って、少しだけ気弱に眉を寄せて訊いた。


「弱いと思う?そんなのは」


ユーリは少しの間フリンを見つめ返してから、首を横に振った。


「・・・まさか」


そんなのは、考えるまでもない。


「そうだな、フリンの名前なら呼んでも苦しくないかも知れない」


ユーリは身体を支えていた腕の力を抜いてドサリと芝生に倒れ込んだ。


「・・・俺はいつも空を見上げてたよ」


そうすれば、涙は零れないから。
喉が痛むほど空を見上げて、同じように震える唇でたったひとりの名前を呼んだ幾つかの夜を思い出す。
声に出すといつも酷く呼吸が苦しくなるのに、呼ばずにはいられない。
痛みを確かめていないと、いつか大切なものを失ってしまう気がして。
そんな風に呼びたかった名前じゃないのに。
どうしてか、いつもとても苦しかった。


(息が上手く吸えなくて、色んなことを諦めたかった)


そのまま酸素が身体に回らずに、いつかそうして死んでしまうんじゃないかと思った。
胸も頭も鈍く痛んで、だけど不思議と悲しみよりは絶望していない。
そんな気持ちが、いつも身体の奥深くにあった。


「今も、苦しいの?」


僅かに潤んだ瞳で肩越しに振り向くフリンの表情はそれでもどこか穏やかだ。
きっと同じ気持ちを抱いているから、辛く優しい気持ちでいられる。
そんな風に同じ気持ちでいられることは、嬉しいようで少しだけ淋しい。
こんな気持ちは、知らなくても済むはずだった思いだから。
運命は、少しだけ自分たちに厳しいと思いながら、微笑う。


「切ないよ。どうしたって、届かない気持ちは」


震えずに出た言葉だったけれど、フリンはユーリの言葉に視線を前に向けた。
細い肩が深呼吸の分だけ小さく震えるのを見ながら、ユーリも同じように息を吸い込んだ。
ともすれば速まる鼓動を落ち着かせたかった。
不安は簡単に伝染してしまうから、せめてこれ以上淋しくならないように。
吸い込んだ息は、やっぱり未だ苦しいのだけれど。


「けど、未だ出来ることがあるから」


本当は、涙を落とさないことだけで精一杯だけど。


「諦めないことなら、今の俺にも出来るんだよな」


この痛みや切なさにもきっとちゃんと意味があって。
いつか報われる日が来るって、そう信じてるんだ。
今日は駄目でも、明日なら、明後日なら。
信じることは、この心に未だ許されている。


「・・・そうね。その通りよ」


膝をユーリに向けて、フリンが白い手を伸ばす。
風に晒されていた頬に同じ温度の指先が触れる。
癒しの力があるかのようなその優しい感触に思わず目を閉じる。
流れ込んでくるのは、労りの込められた励ましだ。


「決して諦めてはだめ。信じてさえいれば、きっといつか願いは叶うわ」


そう、私のようにね。

目は閉じたままだったけれど、そう言った彼女の表情に見惚れる思いだった。
とても多くの大切なものを無くしてきた。
けれど、その全てを受け入れてなお微笑うことの出来る彼女に、どんな言葉を捧げれば良いのか解らない。
抱きしめることで伝わるだろうか。
そう考え持ち上げかけた腕を、けれどユーリは静かに下ろした。


「何も捨てない。諦めない。時々は、泣くこともあるかもだけど」

「いいのよ。それで、きっと」


それなら、未だ立ち上がれる気がする。
ひとりじゃない。沢山の理解者がいる。それに、何より。



「生きてる。・・・きっと、それだけで充分だったんだ」




当たり前すぎたその事実に、今更感謝したいと思う。


涙の代わりに生まれた思いは、涙に似た温度で切なさを少しだけ癒して。

















10.この笑顔でいつまできみをはぐらかせるのでしょうか


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2005.04.30
切なさだって、乗り越えていける。


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