一緒にいた時間だけ、心かき乱されて。








ふわふわと頼りない雲の上を歩いているような感触だった。
ユーリはいつの間にかぼんやりとそこに立っていていることに気付くと酷く狼狽した。
ひとりで考え事をしている間にいつの間にか遠いところまで来てしまったような、そんな不安。
それが単なる錯覚だということは、次に背中からかかった声によって証明された。


「何をぼーっとしてるんだい、渋谷?」


その酷く耳に馴染んだ声に、振り返るよりも先に安堵する。
あまりにもかけ離れたふたつの世界で、たったひとりの親友。


「・・・村田」

「その年で迷子もないだろう?」


小憎らしく笑う顔に訳もなく泣きそうになる。
ユーリは唇に力を入れて笑い返した。


「迷子になんかなってねーよ」

「まぁ、此処で迷子になられちゃ困るんだけどね。夢で迷ったら戻れなくなるから」

「・・・ん?」


夢?と、首を傾げて見せたその幼い仕草に村田は苦笑しながら言う。


「此処は、君の夢の中だよ。僕は今、君の頭の中に少しだけお邪魔してるってわけさ。解るかい?」


きっと言っていることの半分も理解出来ないまま、けれどユーリは反射的に頷いてみせた。
村田は苦笑を隠さず半歩足を進める。


「・・・呼び戻すのもなかなか難しくてね。こんな中途半端にしか関われなくて本当に悪いと思ってるよ」

「えーっと、これは夢だけど夢じゃなくて?・・・ああ、でもいいや。充分だよ夢でも。」


へらりと笑った顔は少し力無い。


「疲れてるみたいだね」

「・・・少しな。でも、俺なんかよりずっと大変な人がいるから」


弱音なんか、本当は吐いてられないんだ。

そう言ってユーリは真っ直ぐ姿勢を正した。
すらっとした立ち姿は薄くて、一国を担うには少し危なげに見える。
それでも、先を見据える黒い瞳は道を間違えることはないだろうと村田は思った。
正しさを持っている彼はきっと間違えない。
間違えても良いところでも、彼はきっと正しい方向を指差すのだろう。


「僕は気にしないけど」

「うん?」

「渋谷が弱音吐こうが何しようが、僕は気にしない」


だって夢の中だからね。

そう言ってやると、ユーリはきょとんとしてからようやく思い出したように笑った。


「だよな、夢だもんな」

「そうだよ。目が覚めたら忘れる。だからいいんだよ、渋谷」


そう言うと、ユーリはふと視線を下に落とした。
躊躇うように唇を舐め、それから少しだけ顔を背けるようにして口を開く。


「・・・俺、どっかおかしいのかな」


眉を寄せることで疑問を示した村田にユーリは拳を作って自分の胸に触れた。


「信じたいのに信じられなくて、だけど疑おうとするとココが苦しくなる」


その横顔に浮かんでいるのは先程と同じように道に迷った子供の表情だ。
信じることと疑うこと以外を知らないという点では確かに彼は子供だった。
妥協して許容するということが彼には出来ない。
0か100か。
そんな実直さは確かに彼の長所だったはずだ。
それが今、ここにきて彼を苦しめている。


「正直、コンラッドのことよく解らなくなった」


搾り出すような声が痛い。
渦巻く思いが言葉尻に滲み出てくるようで。


「らしくないね」


居たたまれなかった。
自分の正しさを見失っている彼が。


「ひとりでごちゃごちゃ考えたって仕方ないじゃないか」

「解ってる、解ってるけど」

「彼に、言いたいことがあるんだろう?」


見返してくる目はただ戸惑いを伝えてくる。
けれど自覚がないわけではない。
きっと初めて抱くであろう感情に戸惑っているだけの彼を、村田は酷く眩しいような思いで見つめた。


「言ってやればいいじゃないか。思っていること全部、そのままぶつけてしまえばいい」


どうして、とか。何でとか。
そんな拙い言葉でいい。
胸の中でどんどん黒く凝り固まっていく思いならいっそ吐き出してしまえばいいんだ。


「言いたい言葉が解らないとは言わせないよ、渋谷」


ユーリは黙ったまま視線を村田から外した。
微かに震える拳は誰に向けられた激情なのだろう。


「言えばいい。誰も君を責めたりしない。それだけのことを彼はしてきている。そうだろ?」


口にしてはいけない言葉を口にすることを、君は酷く恐れている。
存在を真っ向から否定する言葉は、向けられる相手だけでなく君をも傷付けるとそう言うのだろうか。
けど、君はそれを我慢出来ない。
抑え切れないほどの魔力より、もしかしたらその感情は強いかも知れない。
裏切りを許せない君の正しさが、それを我慢出来ないんだ。


「言っていいんだよ、渋谷」




 君は彼を憎んでるんだろう?




「・・・!」


さぁっと血の気の失せる音が聞こえたような気がした。
反射的に胸倉を掴み上げ睨みつけた彼の目は、それでも今にも泣き出しそうな弱い光しか湛えていなかった。


「・・・君は正常すぎるほど正常だよ」


あれほど君の信頼を得ておいて、今一番効果的なやり方で君を裏切った彼。
僕たちが思うよりも君の傷は深いんだろう?
名付け親としての彼の君の中での地位は、恐らく君が思うよりも高かった筈だ。
愛情深い君のことだから、家族と同じくらいに思っていたんだろう?
彼もそのことを解っていて、それに応えるように君に付き従っていたことは誰の目から見ても明らかなことだよ。

異国の地で、君は確かに幸せだったんだろう?



だから今。
本当に殺したいほど彼を憎んでいるのは、他でもない。


君なんだよ、渋谷。



「少し傷付いたくらいじゃ立ち止まれない。その心意気は立派だと思うけどね?いいかい、渋谷。君の心の強さは確かに君の武器だ」


血管が浮き出るまでに強く掴み上げられた拳に手のひらを重ねてやると、その力はすぐさま弱まった。
見て取れるほどの手の震えは、肩から全身に渡り広がっていく。


「けど、君は少し挫けることを覚えた方がいい。そうでないときっといつか歩き出せなくなってしまう」


慣れることは悲しいことかも知れないけど、負けることとは違う。
ねぇ渋谷。
きっと近い内にまた、君は君を脅かすものに出会うだろう。
それはもしかしたら、君が信じたものかも知れない。
愛したものかも知れない。

それでも、君は立ち止まらないと、そう言いきれるかい?


「そんなのは、無理なんだよ」


傷付いていいんだ。
村田の言葉に、ユーリはようやく涙を流した。
流れた涙の跡を辿って、幾筋も幾筋も。
当たり前に血を流していた心がようやく出口を見つけたように、小さな嗚咽はいつまでも終わりそうになかった。


「それに、」


微かに自分だけが拾えるほどの声は、彼の耳に入れるつもりはなかった。
真実はいつだって残酷なまでに期待を裏切る。
それならば、初めから望みなど抱かない方が良いのだ。


けれど。

君が生まれる前から君の魂に寄り添っていた男が、そう簡単に君を裏切ると思うかい?
僕には、そうは思えない。
君のためなら彼は自分の命さえ捧げると言ったろう?
そのことは、きっとこの世のどんな理よりも真実なんだろうと思うよ。
彼の還る場所はずっと君だ。
いくら君が彼を憎んでも蔑んでも、それだけは変わらない。

そして、もし。



「朝まではまだ少しある。僕は、そろそろ戻るよ」


もし、彼が還るそのときは。


「おやすみ渋谷・・・良い、夢を」






君の正しさは、きっと彼を選ぶと思うんだよ。
















17.溢れ出てくるのはどろどろとした醜い感情


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2004.11.18
だって人間だから。


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